この記事のまとめ
- 「自走できるエンジニア」という文言が、育成体制のない組織の免罪符になっているケースがある
- OJTが機能していない現場ほど「自走」を求める傾向があり、エンジニアが割を食いやすい構造だ
- ただし「自走力」自体は本物のスキルであり、求める側・鍛える側の両方に責任がある
- 営業として私たちも、この言葉を便利に使いすぎてきた自覚がある
結論
正直に言う。
「自走できるエンジニアを探しています」という依頼が来るとき、うちの営業チームは内心こう思うことがある。
「ああ、育てる気があまりないのかもしれないな」と。
求人票や案件票に並ぶ「自走力」「主体性」「オーナーシップ」という言葉。響きはいい。でも実態として、「指示を出す側の手間を省きたい」「OJTにコストをかけたくない」という組織の都合が、エンジニアへの要求にすり替わっているように見えるケースが少なくない。
これは営業として、業界の内側にいる人間として、率直に認めなければならないことだ。
そしてもう一つ認めなければならないのは、私たちSES営業もこの言葉を便利に使ってきたということだ。「自走できる方を希望します」とクライアントに言われれば、そのまま求職者に伝える。その言葉の裏に何があるかを、深く掘り下げずに。
根拠
データを見てほしい。
IPA(情報処理推進機構)が公表している「DX白書2023」では、国内企業のDX推進を阻む要因として「人材育成の仕組みが整っていない」を挙げる企業が概ね6割前後に上ると報告されている。
つまり、育成の仕組みが整っていない企業が多数派だ。
それでも「即戦力」「自走できる人材」を求める。矛盾しているようだが、企業側の論理は単純だ。「育てるリソースがないから、最初からできる人を採る」。その結果、求人票や案件票に「自走力必須」という文言が増える傾向がある。
doda(パーソルキャリア)が公表している求人動向レポートでも、IT・通信系職種における「即戦力・自立型人材」への需要が高まっている傾向が示されている。需要が高まること自体は悪くない。問題は、うちの会社の経験上、その背景に育成への投資が追いついていないケースが混在していることだ。
さらに厚生労働省の「能力開発基本調査(令和5年度版)」では、OFF-JT(職場外研修)を「実施していない」と答える企業の割合が中小企業を中心に一定数存在することが示されている。SES企業の多くは中小規模だ。業界全体とは言い切れないが、育成コストを抑えながら「自走できる人」を外から調達しようとする構造が一部に存在しているのは確かだ。
これが、私たちが現場で感じている現実だ。
反論への先回り
ただし、こういう反論もある。
「自走力は本物のスキルだ。それを求めることの何が悪い?」
これは正しい。
自走できるエンジニアは、現場に入った瞬間から生産性を発揮できる。クライアントの満足度も上がる。エンジニア自身のキャリアにとっても、自走力は武器になる。求める側の動機がどうであれ、「自走力を持て」というメッセージ自体は間違っていない。
また、「育成するリソースがない中小企業がどうすればいいのか」という現実論もある。大手のように研修制度を整備できない企業が即戦力を求めるのは、経営判断として理解できる部分もある。
私たちが問題にしているのは、「自走」という言葉が結果として免罪符のように機能してしまうケースがある、ということだ。
育成が不十分だった結果エンジニアが成長できなくても、「自走できなかった本人の問題」と片付けられやすい。現場に放り込んで十分なサポートがなくても、「自走力が足りなかった」で終わりになりやすい。この構造が、エンジニアにとっても業界にとっても損だと言いたい。
優秀なエンジニアが「放置されている」と感じて離職すれば、採用コストは跳ね上がる。育成への投資を後回しにした組織は、中長期で競争力を失うリスクがある。自走を求めるなら、自走できる環境を整えるのが筋だ。
補足
うちの会社でも、この問いを最近よく議論する。
エンジニアをクライアントに紹介するとき、「この現場はちゃんとOJTがあるか」「メンターがいるか」「最初の3ヶ月で何を教えてもらえるか」を確認しているか。正直、できていないケースもある。
「自走」を求める前に、自走できる土台を渡しているか。これは営業として、経営者として、自分たちに問い続けなければならないことだ。
あなたが今いる現場、あるいは次に選ぼうとしている現場は、「自走しろ」と言いながら何も渡してこない場所ではないか。
それを見極める目を持つことが、エンジニアにとっての最初の「自走」かもしれない。
求人票の「自走力歓迎」という文言を見たとき、少し立ち止まって考えてみてほしい。その言葉の裏に何があるかを。