結論:ドキュメント力は本物の武器、でも「逃げ口上」にもなりやすい
ドキュメントを書く力は、エンジニアにとって本当に大切なスキルです。
これは否定しません。
ただ、現場でたまに見かけるんですよね。「自分はコードより設計や文書で貢献するタイプ」と言いつつ、設計書も読みにくく、コードレビューも実は苦手……というケース。
逆もあります。「俺はコードで語る」と言いながら、誰も読めないコードを量産している人も。
結局、どちらかに逃げている人は、どちらも中途半端になりやすいというのが、私の正直な観察です。
この記事では、ドキュメント力の本質的な価値と、それが「便利な言い訳」に化けるメカニズムを、両方の視点から整理してみます。
根拠:ドキュメントの重要性はデータが示している
IPAの調査が語るドキュメント不足の実態
IPA(情報処理推進機構)が公開している「ソフトウェア開発データ白書」や「非機能要求グレード」関連の調査では、システム障害やプロジェクト失敗の原因として「仕様の不明確さ」「ドキュメント不備」が上位に挙がる傾向が繰り返し示されています。
要件定義や設計書の質がプロジェクト成否に直結する、というのは業界の共通認識と言っていいでしょう。
コミュニケーションコストの問題
また、経済産業省が公表している「DX推進指標」の自己診断結果でも、多くの企業が「暗黙知の形式知化」「ドキュメントの整備」を課題として挙げています。
特にSES・受託開発の現場では、人が入れ替わるたびに仕様が失われるという問題が慢性化しています。
これは「ドキュメント力が重要」という主張を裏付けるデータです。
ではなぜ「逃げ口上」になるのか
ここが本題です。
「コーディングよりドキュメント」という言葉自体は正しい。でも、その言葉を使う人が本当に良いドキュメントを書けているかは、別の話です。
良いドキュメントを書くには、実は深いコード理解が必要です。
- システムの動作を正確に記述するには、実装を読める必要がある
- 設計の意図を伝えるには、トレードオフを理解している必要がある
- レビューコメントを書くには、コードの文脈を把握している必要がある
コードが読めない人が書くドキュメントは、往々にして表面的で役に立たないんですよね。
反論への先回り:「専門分業」という考え方もある
ここで反論も整理しておきます。
「テクニカルライターやプロジェクトマネージャーはコードを書かなくてもドキュメントで価値を出せる。分業は正しい」という意見は、確かに一理あります。
| 立場 | コード力 | ドキュメント力 | 現実的な役割 |
|---|---|---|---|
| テクニカルライター | 必須ではない | 必須 | 専門職として分業 |
| PM / スクラムマスター | 必須ではない | 必須 | プロセス管理 |
| ソフトウェアエンジニア | 必須 | 同様に必須 | 両立が期待される |
この表を見ると分かる通り、職種によって求められるスキルセットは違います。
テクニカルライターがコードを書けなくても問題ない。これは正しい。
ただし、「エンジニア」を名乗りながらコードを避ける理由にドキュメントを使うのは、また別の話です。
ソフトウェアエンジニアという職種においては、コードとドキュメントは補完関係にあります。どちらかを「逃げ道」にする構造自体が問題なんです。
「コードで語れ」派への反論も必要
逆側も言っておきます。
「コードが全て、ドキュメントは時間の無駄」という考え方も危険です。
IPAの調査では、保守フェーズのコストがシステム全体の開発コストを大きく上回るケースが多いと指摘されています。
読めないコードを書き続けることは、チームへの負債の押しつけです。
補足:「どちらが大事か」より「なぜ両方から逃げたいのか」を考えてほしい
正直に言うと、「コードよりドキュメント」「ドキュメントよりコード」という二項対立自体が、あまり生産的じゃないと思っています。
本当に聞きたいのはここです。
「あなたは今、どちらかを言い訳にしていませんか?」
コードを書くのが怖いから設計書の話をする。
ドキュメントを書くのが面倒だからコードに逃げる。
どちらも「苦手なことを避けるための言語化」になっていることがあります。
成長しているエンジニアほど、「自分が今どちらを避けているか」に自覚的です。
次のアクションとして、こんな問いを持ってみてください。
- 自分が書いた設計書やREADMEを、半年後の自分が読んで理解できるか
- 自分が書いたコードを、ドキュメントなしで他人が引き継げるか
- 「もう片方が大事」と言うとき、それは本心か、それとも回避か
両方できなくていい、という話ではありません。
ただ、「どちらかを言い訳にしない」という姿勢が、長期的なエンジニアとしての信頼につながると私は思っています。